押上くん本人は出てきません。(回想シーンに台詞がちょこちょこある程度)
そして無駄に長いです。3500文字くらいはあるかと…。
もうすこしスマートにいきたかったのですが、付け足しに付け足したら収拾がつかないことになってしまいました。
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「ん…んん…っ…?」
錦糸町は顔を上げると周囲をキョロキョロと見渡した。
電車に乗り座席に座ったとたん、眠りに落ちていたらしい。
窓の外を見ると、地上に向かって急勾配を走行中だとわかる。見上げると高架の底が見えた。
――寝過ごした、か…
ようやく自分が置かれてる状況を把握できたとき、車内の自動放送がこう告げた。
――そういえば曳舟さんのところ、降りたことないな…
当初の計画とは違うけれど、たまには寄り道もいいかな――
一旦降りて改札を出ることにした。
改札を出ると駅ビルをくぐって曳舟川通りに出てみた。
すると大きいイトーヨーカ堂が目に飛び込んでくる。
噂には聞いていたが、予想していたより凄いな――
そんなことを思いながら、右に曲がり横断歩道へ向かった。
信号はまだ赤だ。
ふと横断歩道の向こうがわで待つ人々に目をむけると、顔見知りの男性の姿があった。
その男性は目が合うとハッとした表情のまま固まっている。
すらっとした長身に、Yシャツのくびもとには赤紫のラインが入ったオレンジ色のネクタイ、クロスさせたピンで留められた前髪――曳舟小鳩その人だった。
「珍しい事もあるもんだな。で、何故ここへ…?」
「……」
「まあいいや。とりあえず、その辺に座るか」
「はい」
横にある信号をわたってイーストコア前の広場のベンチに腰掛けた。
錦糸町はその間、気になることでもあるのか右手に持っていた白い袋をじいっと見つめていた。その袋からはほんのりいいにおいがしている。
「ああ、これ?イトヨの地下で買ってきた鯛焼き。1つ食うかい?」
曳舟は袋から鯛焼きを一つ取り出して錦糸町の鼻先に突き出した。
「ありがとうございます…!……はむ…はむはむっ……んく…」
「もしかして、お腹すいていたのか?」
曳舟が呆気にとられていると、
「おいしかった、です…」
満足気な表情の錦糸町から、やや的外れな回答が帰ってきた。
「そうか、それは良かったな」
「はい」
「…」
「…」
「……」
「………」
会話らしきものが続いたのも束の間、沈黙が流れた。
お互いにどういう話を切り出せばいいのかわからない様子だ。
曳舟は割と誰とでもざっくばらんな会話ができる方ではあるものの、錦糸町についてはどうも、どんな話題を取っ掛かりにしようか迷う相手だった。
――そうだな…とりあえず、まずは駅周辺の蘊蓄でも話してみるか、ここに来るのは初めてみたいだしな。
と思い立ったところで話を始めた。
「隣にあるイトーヨーカ堂は、2010年11月27日にオープンしたんだが、以前は曳舟たから通り沿い…て言ってもわからないか。京成の線路の向こう側に今より小さいのがあったんだ」
「…」
「ちなみに前のイトーヨーカ堂は売場面積あたりの売上が日本一だったって噂がある。それでな、この曳舟川通りっていうのは、昔は――」
「存じております」
曳舟の話を遮るように、錦が口を開く。
「歌川広重の『名所江戸百景』に曳舟川が描かれた『小梅堤』という作品がありました!」
「さすが錦やん、浮世絵が絡む事には敏感に反応するな」
「あはっ…ああそうですね…これはもうしょうがないんです…」
錦糸町が苦笑いをすると、曳舟もつられて笑った。
「しっかし、初めてだよな。こうして2人だけで話すのは」
「いつもは押上くんがあいだにいますもんね…」
「そう、押上が間を取り持たないと何故か会話が成立しなかったよな」
「実のところ、今日は押上くんのところに行こうとして、寝過ごしてしまったんです。まあせっかくの機会だし、曳舟さんのところを散
歩してみようかと思って降り立ちました」
「やはりな。本来は押上に用があったってことか」
「でも押上くんがここにいないということは、2人の間でしか話せない事も話せるんですよね…」
「ん?どういうことだ?」
錦糸町は緊張した面持ちで、こんな質問をした。
「突然ですが、押上くんのことは好きですか?」
「……ほんとに突拍子もないな…好きか嫌いか、で問われればそりゃあ好きに決まってるわ」
「最近、押上くんは私に物足りなさを感じているのではないかと思っているんです。同期同士、同じ目線で付き合うよりも、豊富な人生
経験のある先輩相手に背伸びがしたい時期なのかも知れません…」
「…」
「押上くんの回りはそんな先輩ばかりです。でも曳舟さん、あなたには……特にあなたには本気なのではないかという気がするのです」
「それは女の勘ならぬ、男の勘ってやつか?」
「まあ、そんな感じのものです」
「うーん…俺が憧れの対象ってことはあるかも知れないけど、惚れた腫れたとかそういうのとは違うんじゃないか?それに押上と俺とは約1世紀も離れているしなぁ」
「私たちは人の姿をしていますが、年齢に関しては一般の人々とは違う概念の元生きているともいえます。
ですから押上くんが曳舟さんのことを気で好きだと言ったとしても異常とは思わないし、その逆もしかりです。
…第一、そんなことを気にしていたらキリがありませんよ。私と私の兄も109年離れていますが『兄弟』ですし…」
「確かにな…俺達は半永久的に不老不死の存在だもんな…」
「それで――先ほど例えにも出しましたが、もし押上くんが曳舟さんに本気だたらどうしますか?」
今度はもっと具体的な質問を投げかける。
とは泣かせたくないから…
曇った表情をした顔はあいつには一番似合わないし、そんな表情にさせている原因が自分だなんて、心が痛むからな。
錦やんのことは泣かせることになるかも知れないが」
「…」
「こちらも質問していいか?」
「ええ」
「俺と押上の関係がどうこうって話をしてるけど、錦やんの押上への気持ちはどうなんだ?」
「押上くんとの事を考えるとき、必ず思い出す出来事があってですね…」
開業初日の出来事を話し出した。
「きんしちょーう!」
駅のホームをうろうろしていたところを、不意に後ろから抱き着かれた。
「ひゃっ!?」
「驚かせてごめん、僕は押上依世。君のとなりの駅で、半蔵門線の終点なんだ。これからよろしくね!」
「…挨拶に来てくれて有難う。宜しく。」
「これから、あとの2駅にも挨拶に行こうと思ってるんだけど、錦糸町も一緒に行かない?」
「え?」
「4駅が集まってさ、色々お話したら、みんなすぐに仲良くなれると思うんだ」
その言葉の通り、4人はすぐに打ち解けた。今では同期同士の結束は2003年組が一番強いという自信がある。
少なくとも錦糸町に押上のような発想はなかった。
他駅との関係を築くのは自分のまわりの事を十分に理解して、それからでも遅くはないだろうとすら考えていたのだった。
押上が声をかけてくれなかったら、未だに同期の中でさえ浮いた存在になっていただろう。
もしかすると、同期がそれぞれバラバラになっていたかもしれない―――
「押上くんは私たちにとって恩人であり、よきリーダーでもあります。人懐っこいところが、可愛くて…好きです…」
「あいつは見た目は子どもっぽいけど、人間関係を築く能力には目を見張るものがあるよな」
「彼が趣味で作っている創作スカイツリー菓子も、新作ができると真っ先に私のところに持ってきてくれるんです。
私が甘党だから、喜んで食べてくれるだろう、との考えの上でしょうが…そんな心遣いも嬉しいんです。
そんな些細な事ですが、ひょっとして私は彼にとって特別なんじゃないか、と思ってしまう事もあります」
話しているうちにだんだん調子が上がってきたのか、声も心なしかうわずっている。
「彼の笑顔には本当にいつも元気を貰っています。私が彼に出来ることと言えば、彼のその笑顔を絶やさないように、笑顔を絶やしてしまうような事から彼を守る事――」
さらに畳みかけるように続ける。
「もし私が押上くんの特別にならない事が、笑顔を絶やさぬことであるならば――私は喜んで身を引くでしょう。彼の幸せが守られるなら、それで構わない。
ですから曳舟さんが、押上くんがご自身の特別を望むときは受け入れる、とおっしゃってくれて嬉しかった」
「そうか…俺も意地悪だよな、今更語らせたりして。実は、知ってた」
「えっ…!?それは一体…?」
「錦やんが押上に惚れている事」
はっきりと口に出されて、錦糸町の頬はみるみるうちに赤くなった。
「何処から判断なさったのですか」
「視線さ。錦やんはいつも押上のほうばっか見てるよなって」
「そんな…」
「まあ、これも男の勘ってやつ」
「そうですか…」
「ところで、散歩するんじゃないのか?」
「あっ…!すっかり忘れていました。お話をさせていただいて、すっかり満足してしまったもので…」
「そうかい…。駅周辺はこの街の真髄から掛け離れてるんで、出来たらもう少し歩き回って欲しいものなんだが。京成の線路を渡ってキラキラ橘商店街にいってみるのもよし、
隅田川のほうに歩いてって鳩の街に行ってみるのもよし。路地でほどほどに迷ってみても良いかも知れ
ないな。昭和テイストを思いっ切り感じてくるといいよ。」
「ありがとうございます、参考にします。…って、曳舟さんは?」
「本当は俺が案内したいところなんだが、これからちょっと忙しくなるんでな…わりぃな。もし迷ってどうしようもなくなったら、連絡してくれ。」
「わかりました。なるべくご迷惑をかけないようにしますね」